私は、特に学歴や技術があるわけでもなく、あまり丈夫でもない体で重労働を続けてきて、年をとった今、後遺症に悩んでいます。でも、自分で自分のことができるし、趣味もいろいろ楽しんでいるので、幸せだと思うことにしています。この年になって思うことは、「後悔を先に立てよ」という言葉です。子どもの頃から自分は何が好きなのか、何がやれるのかと絶えず自分探しをして、体や能力にあった生き方を見つけることが大切だと思います。

 私が、小さい頃から高くアンテナを張り、絶えず自分探しをする努力をしていたら、今のように体も痛めず、もっと有意義な人生を歩めていたかも知れないと思います。絵が好きだったので、最近、テレビで京都の友禅染の絵付けなどを知って、あんな仕事ができたら楽しいだろうなあ、あんなことも、こんなこともやりたかったなあと、今更ながら残念に思っています。生い立ちが悪かった、学歴がない、時代が悪かったなどと責任転嫁はしません。結局、自分に夢がなかった、努力をしなかったから、今頃、さみしい思いをしているのです。

 テレビや新聞では、暗いニュースが後を絶ちません。前途有望な青少年の犯罪なども、自分に目的意識がないから悪に手を染めるのではないかと思います。職業もいろいろなものがありますが、どの仕事も社会になくてはならない立派な仕事です。好きなこと、体や能力にあった仕事を見つけることです。でも好きで選んだ仕事でも、実際にやってみると、思いどおりにいくとは限りません。もし失敗しても、くじけず、また次の自分探しをして、悔いのない人生を送ってほしいのです。そして、その上に、何か他人に喜ばれること、お役にたつことは少しでも行えたら、生きる励みになり、生きる価値があるのではないでしょうか。

 他人もよし、自分もよしという心に、みんながなれたら、きっと住みよい社会になるでしょう。

 平和で明るい21世紀は、未来のあるあなたたちに託します。