もう年寄りの説教なんて、うんざりだよな。いうことは決まっているんだ。「命を大切にしろ」、「平和が第一だ」、「目標に向かってがんばれ」。それに加えて、「昔は良かった」、「物はなくても、心は豊かだった」、「自然環境がすばらしかった」などといわれると、つい、「それを無くしたのも、あんたたちだろう」と反発したくもなるよな。

 おじさん(おじいさんか)は、そこんところはわかっていて、あえていうんだ。これから君たちが中心になって生きていく21世紀は、このまま進んでいくと、すさまじい競争と破壊が待っているような気がする。何しろ世界と競争して生き残ろうというのだから、並大抵のことではないだろう。

 競争というのは優劣・勝敗を決めるために、競い、争うことだよな。スポーツのように、競うというのはいいとして、争うということが、どうも私の気に入らない。なぜだろうと考えて、ふと思い当たった。争は戦争の争だからだ。あの無謀な太平洋戦争。私はそのころ少年時代だったが、それでも、今でいうトラウマのような傷跡として残っている。戦争だけは絶対にするな。人を殺すな。これだけは、くどいといわれても、しっかりいわせてもらう。

 競争といっても、所詮、人間同士の争い。その結果、優れた者が勝ち、劣った者が負ける。当たり前のように思えるが、実はそこに大きな落とし穴がある。簡潔にいうが、人間に優劣などない。今日の勝者は明日の敗者かもしれないし、第一、命の中身はみんな平等だ。真に競争して欲しいのは、みんなが幸せを共有できるもののために、である。

 人は強いようでもろい。大きな理想に向かって、がんばれる反面、ささいなことでつまずいてしまう。人は人との関わり合いの中で、生きているのだということを知ってほしい。それは、人と人とがお互いに支え合う関係にあるからだ。

 どんな世の中になっても、支え合うことを忘れたら勝者も消え去っていく。このことを、しっかり心に刻んでおいてほしい。私もいろんな人に支えられて、ここまで生きてこられたと思うから―。