今年も八月六日がやって来ました。五十七年前のこの日、一瞬でたくさんの人が亡くなりました。広島に原爆が投下された日です。
 この日の式典に、特別な思いをもって参加したアメリカ人の女性がいました。九月十一日、世界を震撼させる事件が起こりました。あのテロで彼女は弟を亡くしました。弟は、車いすの同僚を助けようとビルに残ったのです。大統領は亡くなった人々のためにアフガニスタンの攻撃を決めました。「弟の死を戦争に利用しないで」と彼女は訴えましたが、攻撃は始まりました。今、彼女はアフガニスタンで、被害にあった人々へのアメリカの補償をとりつけるための運動を行っています。広島の人に会い、報復するのではなく、平和を訴える活動に共感したのだそうです。
 広島市長は「今、人々は平和の尊さを忘れ、また原爆が使われようとしている」と式典でテロのことをとリあげました。  
 平和の尊さ−。それは確かに今、忘れられようとしています。折り鶴が焼かれたり、平和の像に赤いペンキがかけられたりする事件もありました。さらに、一歩間違えば日本も戦争に参加する法律まで出来ようとしています。けれどあれほど平和の尊さを実感した日本人が、そんなに簡単に忘れていいのでしょうか。
 大統領は言いました。「正義は必ず勝つ」と。誰が善で誰が悪か、そんなことどうやって決めるのでしょう。ゲームや漫画のように決められることではないのです。どちらが善か悪か、優れているか、劣っているか−、そんなことよりもっと大切なことがあるはずです。
「人間に優劣などない。」讃岐さんの言う通りだと思います。完全な善悪も決められるものではあリません。
 「人は強いようでもろい」のに人はすぐにそれを忘れて、自分独りで生きているように思ってしまいます。自分の側からだけ物事を見て、相手のことを考えず、自分勝手な振る舞いをすることもあります。でも、人間は独りでは生きていけません。誰かと支え合い、手をとり合わなければ生きていけないのです。多くの戦争が様々な理由で起きています。その多くは何らかの違いから起きています。人種・宗教・生活の違い・・・・・・・・・。どうして違うことで争うのでしょう。何度となく起こる戦争−。どうして繰り返すのでしょう。今こそ学ぶべき時です、世界中の人々と支え合って生きていることを。それを知り、違いを認め合うことが出来れば争いはなくなると思います。それをしっかり心に刻み、前を向いて歩いていける人間になりたいです。